しなちくの部屋TOP

B'z

 歌詞がダサい、と言われがちですwウルトラソウルとかが。
B'zはそういう格好良さとは違う土俵で勝負しているように思います。
 B'z Official Website

MARS (1991)



1.孤独のRunaway
 たとえ世の中のしきたりに反するとしても、自分の心に正直に、悔いなく生きる…っていうテーマ。稲葉さんの歌詞ではお決まりのテーマだと思います。

 女・仲間・仕事…全部ほったらかして失踪した男。
取り残された人々は、いい迷惑だと みんなあきれかえった後 また普段の暮らしを続けてる…という歌詞です。 「失踪」という大事件を起こしても案外、周りの人間は一時的に困るだけ…そんな様子です。

 いつもの日常の中でいつもと違ったことをする人が出てくると、周りは注目し、戸惑う。でも、それは一時的なこと。いつまでも他人の出来事に構ってるはずもなく、じきに人それぞれ、いつもの自分の日常・時間に戻っていく。何だか、素っ気ないような、寂しいような気もします。でも、そのことを意識すことで「はみ出す勇気」を持てるようにも思います。世間や周りの流れからはみ出すことなんて大したことない…って気がしてきます。

 稲葉さんは一時期、女性ボーカルは中島みゆきしか聞かない、といった旨のことを言っていたと記憶していますが、僕はこの曲を聞くと中島さんの「ばいばいどくおぶざべい」をいつも連想してしまいます。
 こちらは、手がイカれてギターを弾けなくなったミューシャンを題材にした鬱々とした曲です。「周りの人は時とともに変わってしまうだろう、ミュージシャンのことも忘れ去ってしまうだろう」…と嘆くような歌詞なのですが、僕としては聞くと孤独のRunaway同様に身軽な気持ちになれます。他人に与えられる影響なんてたかが知れてるから周りを気にせずに良い、と思えます。稲葉さんと中島さんは、聞き手に歌詞を届かせようとする姿勢が似ていると思います。
 YouTube [92'LIVE]

LOOSE (1995)



4.夢見が丘

 曲の展開も非常にドラマチックですし、稲葉さんの声もこの頃すごくツヤがあると思います。聞き惚れてしまいます。アルバム曲ですが、ファンの間では人気がある曲という印象です。 歌詞に関しても、「稲葉哲学」みたいなものをうかがい知ることができる深い内容になっていると思います。一番の頭から順に歌詞を見てみます。

 愛し合い奪い合い いたずらに心たちは乱れてゆく
 君を思い浮かべるだけで この胸は子供のように ただうろたえるばかりの不始末で
 この冒頭のところでは、人と人が関わり合って生きていく中で生じる愛情、欲望。そういうものに翻弄されてしまう心模様が表されているようです。

 続くサビの歌詞。
 出逢い 別れ 土に埋もれ 陽が沈むように死んでゆく
 わずかな時をむさぼりあおう 夢を見続けるこの丘で

 ここで時間の観点が出てきてます。「わずかな時」である人生、その中でも「むさぼりあおう」と、先述の欲求に振り回される生き方を肯定する様子が明らかにされます。
 そしてここで曲名にもなっている「夢見が丘」が登場します。「夢を見続けるこの丘で」というのは儚い人生を享受する態度のようにとれます。「一炊の夢」という故事成語と同じような、儚さ・刹那的な時間という意味合いの「夢」でしょう。

 同様に二番でも、欲求に翻弄されてしまう心情が時間の観点を交えて描かれています。

 先生、あなたの言葉が思い出せない
 ここでいきなり「先生」が出てきました。これは規範、論理、社会のルール…そういうもののメタファーなのだと思います。個人の強力な欲望や動機に対しては、時に、先生の声(=集団の同調圧力)も届かなくなります。
 嘘のない言葉は誰かを深く 永遠に傷つけてゆくの
 自分の欲求に正直になると他人を傷つけてしまうこともあります。 一番の歌詞で描かれていた自分を突き詰める生き方、そこにはそういうジレンマ、困難が伴うということなのでしょう。

 本当に優しくなれるのは 色褪せた景色を見てる時 
 ここでも個人の内なる欲求というか、「エゴ」みたいなもの、それがいかに強力であるかを述べているのではないかと思います。
 今、一瞬一瞬をしっかりと目を見開いて自己のエゴと向き合って過ごす。余裕なんかない。穏やかに、一歩引いて客観的に捉えられる事柄は、もう終わった過去のことだけ。そういう、稲葉さんが良しとする心の在り方みたいなものをうかがうことができます。

 この部分を聞いてから振り返ると、さっきの「先生」のくだりにも同様の、時間のニュアンスを感じ取れるように思います。「先生」は「思い出せない」。つまり、規範(=集団内で生じるもの)を過去のものと見なしているようにもとれます。強烈な自我でもって今この瞬間を見つめると、「我」しか見えない。「集団」や「過去」の存在は色褪せて霞んで見える、という感じでしょうか。
 稲葉さんの歌詞にはこういった、瞬間の密度を上げることを是とする、という価値観がしばしば登場します。Pleasure~人生の快楽~には、居心地いいと笑ってる そんな余裕はいらないのかな…とありました。

 いよいよ曲のハイライトです。ここでようやく「夢見が丘」とは何かということが明かされています。
 ここに登って世界を見渡せば 僕はいつも自由になれる
 生まれた時に誰もが持っている 聖なる心の丘よ

 「夢見が丘」にいるとき、人は自由になれる。そして夢見が丘とは、人それぞれが自分の内に持っているものだといいます。 先ほどの一番の歌詞では、欲求に翻弄されるもの関連付けされていた「夢見が丘」。 それも合わせてかんがみるに、夢見が丘とは人間が各々持っている、それぞれ独特の内なる欲求であり、自由に心のままに生きるための土台の核のようなもの、と解釈できます。

 正しいの間違ってるの 今の僕には何も言えない
 これも、先生~のくだりと同じことではないでしょうか。正しい、間違っているといった規範についての判断は、今、夢見が丘に登った状態の個人である「僕」からは下し難い。

 曲のクライマックスには「はかない」や「夢」という刹那的で不確かなニュアンスの単語が頻出します。

 はかない時を抱き締めあおう
 君の手を握り歩いてる 夢を見続けるこの丘で

 これらは先ほど触れた、人生の限られた時間の希少性、ということの表現なのでしょうけど、それだけの意味でもなさそうに思えます。
 夢、という言葉は夢・まぼろしというように錯覚、幻想、不確実なものというイメージを連想させます。

 心のままに充実感を感じて生きることは誰の人生にとっても大きなテーマでしょう。でも、それは先ほど出てきたように各々別々の欲求(=夢見が丘)に基づいている感覚です。 そこに他人が関与できることはたかが知れているわけで、言い換えれば、人は他人の姿の限られた部分しか見えず、他人と歩む人生には幻想、錯覚が伴う、と言えます。友人や恋人のことを把握できたように感じても、往々にしてそれは錯覚であったり、ほんの氷山の一角に過ぎない。 そういう幻想性、不確実性が「『夢』見が丘」という字面で強調されているように思います。
 「手を握り歩いてる」というところに、人と人との距離感の限界が表されているようにも思えます。近づきすぎることは出来ず、それでも近づいていこうとする姿勢、を感じます。

 この曲では稲葉詩の広範なテーマが登場しました。 壮大でドラマチックな雰囲気の曲ですが、歌詞から見ても「稲葉哲学」をうかがい知るための鍵となる曲だと改めて思いました。長くなってしまったので要約します。

 まとめ
 ●集団(同調圧力)から脱し、それぞれの人間が自分の満足をつきつめること。その困難の先にある人生の充実感。
 ●人生の有限性。それゆえ自分の欲求と向き合う、今、瞬間の濃度を上げることを目指すべき、という価値観。
 ●人と人との距離の限界、対人関係の困難さ、通じ合っているように感じられる感覚の幻想性。それでも人と関わろうとする姿勢。


9.敵がいなけりゃ
 「誰かれ構わずとりあえず批判し、満足感を得る」という姿勢の人物が描かれています。僕は聴いて真っ先に、ネット上でよく見る誹謗中傷の書き込みを連想しました。

 何も持ってないのはつらいこと…、という歌詞で、考えなしに周りを叩く在り方を「つらい」として、否定的に捉えているようです。

 なぜ否定されているのか?その根拠はおそらく、考えなしに周りを叩くことで得られる満足感が、「その場しのぎのもの」にすぎないからだと思われます。
 この曲では触れられていませんが稲葉さんの歌詞ではよく「満足するまで動き続けること」こそ尊い、とされているように思います。「成長し続ける(変わり続ける)人間」に価値を見出している、と言いますか。でも、「周りを叩いて一時的にスッキリしておしまい」というこの曲中の人物はそれに反しています。なので「つらい」という否定的な表現なのでしょう。


10.砂の花びら
 いでよ 光る砂の花びら 咲いてみせておくれ いじくればこなごなに 崩れ落ちてゆくよ

 「砂の花びら」というメタファーによって、「性欲に振り回される男」が描かれています。どこまで女性を追いかけても手ごたえがない…そんな虚しい気持ちが、とどまることのない 欲に犯されて 穴だらけの心は何時までも満たされないというフレーズから伝わってきます。性的なものじゃ満たせない部分があるのに性的なものに逃げているような印象も受けます。 2番ではさらに、m,m,money…と、性欲からカネ(物欲)の話にまで一般化されています。

 誰かを忘れてゆく 何かを失くしてく、とあります。…何を失くしてしまうのでしょうか?…それは「穴だらけの心」を満たせる可能性だと思いました。
 何か気持ちが満たされないままで、代わりに性欲や物欲を満たすことで楽して気持ち良くなろうとする。それに慣れると、「満足感を得るために困難に立ち向かうこと」が難しくなってしまいます。

SURVIVE (1997)



5.ハピネス
 君だけが僕を癒してくれる だれのためじゃない だけど歪んでない そんなフツーの力で

 誰かのためではなく、単純に自分に正直でいようと努め、イキイキしている、そんな様子に魅かれる…という感じでしょうか。稲葉さんらしいフレーズではないでしょうか。

B'z The "Mixture" (2000)



16.あなたならかまわない
 B'zの歌詞にはよく、相手に合わせて優しく振る舞うのではなく、自分の欲求を相手にぶつける関係を良しとする、という価値観が出てきます。この曲の 純愛というのは相手をめちゃくちゃにしてやりたくなる気持ちだろうなのくだりも、そうでしょう。

 ただ、言うは易しですが、現実では我(が)を突き通すことは時にとても難しくなります。 そういう困難に屈せずに、望ましい関係を築いていくことを奨励するかのようなフレーズが、サビになっています。 思い通りじゃなくてもいい 期待外れでも大丈夫よ

 実際問題としては「イメージと全然違っても大丈夫よ」と恋人なり、親しい人に対して思うことはかなり難しいことだと思います。理想的なのかもしれませんが。 それに、仮に「どんな側面であっても大丈夫だから、見たい」と思うことが出来て、相手にそう伝えられたとしても、相手がその全然違う側面を見せてくれるとも限りません。

 まとめると
●お互いにぶつかりあえる関係性。それを築くための鍵は、自分のイメージと違ってたとしても相手を肯定していこうとする姿勢。
●そういう関係性を築くのは非常に困難。それに、どんな関係を築いたところでどうしても相手の一側面しか分かり得ない虚しさは生じる。

 後のイチブトゼンブとも関連するテーマだと思います。

BIG MACHINE  (2003)



7.愛と憎しみのハジマリ
 見つめたい 手をつなぎたい 強く抱きしめたい そばにいたい 癒してあげたい 幸せになりたいそしてそれがハジマリ…という歌詞。
 気になる人には、いろんなことをしてあげたくなる。その中には、相手は望んでいないことも含まれている。たとえ自分が良かれと思ってしたことでも、相手の意に沿わず、嫌がられたり、疎まれてしまうこともある。相手と通じ合えない部分が出てくることは、避けがたいです。

ACTION (2007)



2.黒い青春
 暗くて無気力。周りに相槌を打ってその場をやり過ごす。面倒くさいことからは逃げる…そんな人物が描かれています。わずかでいいんだ わずかな光が見えていればそれでいい あとは大丈夫 いつかそこに行くよ、という歌詞が印象的。理想は現実から遠い。もう諦めつつある。思いついたことも、実行に移さない…という感じ。
 B'zの曲では、「どこまでもストイックに欲望を満たし続ける、超人的な人物」が描かれることが多いですが、この曲に出てくる人物は、そういうアクションを起こせない感じです。


13.光芒
 光を求め歩きつづける 君の情熱がいつの日か 誰かにとっての光となるでしょう 誰かにとっての兆しとなるでしょう…ここのシャウトが沁みます。鳥肌ものです。
 「精一杯のアクションを起こせば、その姿を見てくれている人がいるかもしれない…例え誰も見てくれていなかったとしても、将来の自分は見てくれている。」…というMCがツアーであったそうです(ウィキペディアより)。 この曲の歌詞と通じると思いました。夢見た景色へ向けて動き続けることが、今の自分を助けてくれ、まだ見ぬ未来の自分につながっていく、ということでしょうか。

MAGIC (2009)



8.MAGIC
 誰かと通じ合っているようなときに感じられる、一人では味わえない心地良さ。その感覚が「魔法」にたとえられています。
 時とともに人は何にでもすっかり慣れてきて 驚きが途絶えると次の誰かを品定めする…という歌詞のように、付き合いを続ける内に、だんだん飽きてくるのは誰しもする経験ではないでしょうか。コミュニケーションのネタが切れたり、マンネリ化したりすると、相手をとっかえひっかえしたくなります。
 ほうり投げちまえば もうたどり着けない 未だ見ぬ僕らの最高峰…と歌詞が続く。関係がマンネリ化してからが正念場。そこからの心がけ次第で、さらに心地良い関係に至ることが出来る、と訴えられています。テーマはソロ曲の「風船」に近いと思います。
 「付き合って間もない心地よさ」と「付き合い方を変えつつも、関係を続けていくなかで得られる心地よさ」。二つは別物。前者を忘れられずにとらわれると後者は味わえない、という感じでしょうか。

C'mon (2011)



2.さよなら傷だらけの日々よ
 ウンザリするような現状、それを打破し、次の世界を目指せ!という、おなじみの主張です。
 傷だらけの日々に別れを告げ、次の世界を目指す。…でも、次の世界に行けたとしても、完全にハッピーになれる、というわけではなさそうです。また現状にウンザリ→さらに次の世界を目指す…その繰り返しが、しばらく続く。そんな人生観が、いつの日か本当に戻るべき場所を知るという歌詞によって補足されています。
 ペプシのCMのために書き下ろされたそうで、歌詞は、『GO NEXT! 先行くおいしさ』…というペプシのキャッチコピーとリンクしています(ウィキペディアより)。お題に合わせつつ、いつもの稲葉イズムもちゃんと盛り込まれていて落としどころが上手いと思いました。