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稲葉浩志
 B'zのボーカル。

マグマ (1997)

 「B'zの稲葉」と言えば…華があって、男らしさがあって、イケている、というイメージを持つ人も多いのではないでしょうか。そういう世間的なイメージは足かせとなる時もあるのかもしれません。制約から解き放たれ、稲葉哲学がいつも以上に濃くなっているのがこのアルバムです。

 稲葉さんの歌詞の魅力に、「人の内面の描写の上手さ」があると思います。特にこのアルバムでは冴えています。
 私はこれを聴くと落ちつけますし、自分の中にある上手く言語化できないモヤモヤした気持ちが整理されていくような心地よさがあります。

 B'zほどポップではないしノレる音楽ではないですが、また違ったタイプの名盤だと思います。お気に入り。


1.冷血
 自我(やりたいこと)を追求すること。それは生きる上で誰もが抱えているテーマだと思います。 B'zの楽曲では一貫して、この、「自我の追求」をポジティブな言い回しで肯定しているように思います。「ねがい」とか「ultra soul」なんかは、まさにそうではないでしょうか。叶えたい夢がある人が聴くと、それを肯定してくれて、背中を押してくれるような楽曲が多いイメージです。

 アーティスト、という仕事を考えた時、この「やりたいことを追い求める人をポジティブに表現する」ということは当然だと思われます。お金を稼げるのは人の役に立てた対価ですし、多くの人の気持ちを高めてあげられるほど、より稼ぐことが出来るはずですし。
 ただ、そういうことを抜きにすると「やりたいことを追い求める」ということそのものは、本来は常に肯定できるようなものではないでしょう。と、いうよりは、当人にとってだけ良いことで周囲の人にとっては迷惑だという場合もけっこうあるはずです。

 この冷血という曲の歌詞を見てみると、自由とはぼくだけに都合いいことでしょうとかつきあいの悪さにゃ太鼓判押せるといった具合で、いつになくネガティブです。「やりたいことを追求する」という行為が、ネガティブなフレーズの羅列によって説明されています。でも自我の追求というものには、そういう側面もあるわけで、リアルに沿っているとも言えるかと思います。

 この曲が一曲目となっているのには、挨拶めいた意味を感じます。
「今回は社会的な立場とかセールスだとかはいったん置いておいた、個人的な作品だよ」という宣言のようです。 実際、このアルバムは今までのB'zとは雰囲気がかなり異なります。自我の追求という、テーマ自体はおなじみですが、違った角度から掘り下げた印象です。

 あと、だれにも怒らずだれからも好印象といったフレーズがありますが、なんだか露悪的で、懺悔をしているかのような雰囲気が感じられないでしょうか。 B'zにおけるポジティブな作詞について、「綺麗ゴト」な側面があるという認識を稲葉さん自身感じていたのかな…などと憶測してしまいます。

 まとめ
●B'zの歌詞に頻出するテーマである「同調圧力からの脱出」。ソロで楽曲を制作することを通して、稲葉さん自らそのテーマを体現している。
●自我を追求することは時に利己的なこととなる。


4.波
 歌詞の言葉づかいが秀逸です。
 タイトルの「波」に始まり、「海」「おぼれる」「沈む」「潜る」など海から連想される単語が曲中に出てきます。 これらの単語が単語本来の意味だけでなく、イメージを連想させるものとして効果的に用いられています。
 たとえば、「波」という単語。これは「つかみどころが無いもの」ですとか、「激しくなったり穏やかになったり、移ろいやすいもの」だとか、「個人では太刀打ちできない大きな力」…といったイメージを想起させます。限られた文字数の中で、情景描写がより立体的になるように考えられているのでしょう。
 曲調も印象的です。音楽的なボキャブラリーが乏しいので言い表すのが難しいのですが、うねるような、まどろむような音でして意識の深いところに語りかけてくるかのようです。

 では順番に歌詞を見ていきます。

 まず冒頭からです。
 わかるよ これ以上は もういっしょにいてはいけないととあり、続いて、道の前で迷い立ちどまっているとあります。
 なにやら別離の場面のようです。分かれ道を前に立ちすくんでいるのでしょうか。 別々の道に進むべきという自覚がありつつも、別れて一人きりになることに戸惑ってしまっているような印象です。

 本当にひとりきりになって さまよってみたい そんな勇気のない自分を笑ってまた嫌になるよ と続きます。ここも同様だと思います。他人と距離を置くことへの葛藤があり、どっちつかずになっている様子なのでしょう。

 さらに、寄せてはかえす波のように~中略~安らぎも不安も消えることはない 他人(だれか)を見つめてみんな生きているからとあります。
 このくだりでは、「穏やかな境地に至ることの難しさ」のようなものに言及しています。 どうして難しいのか、その理由として、他人の存在が示されています。 先ほどは、自分自身の心理がどっちつかずに揺れ動くさまが描写されていました。一方ここでは、自分が見つめている先にいる他人、その心も自分と同様に不安定である、と言っているのでしょう。そして、その不確実なものによって自分の心が左右されてしまう、とも言っています。
 
 生きていくうえでどうしても付きまとう、対人的なわずらわしさ。それのせいで思うように動けなくなってしまうが、そこから抜け出すことも出来ない。 そんな、やるせなさが僕が おぼれているのは よけいなものの海なんだろうか… というフレーズから感じられます。
 まばたきほどの時に沈む 人を幸せにできる鍵があるという これは、理想的な対人関係を築くことの難しさを言っているのでしょうか。

 最後の部分です。
なにもかも愛してみたい
本当は君をまるごと 包んでみたいよ
無限の海を潜ってゆきたい
 一人きりになりたい、と先ほど言っていましたがここでは君を包み込みたいと言っています。
 本当は、と言っているのでこれもつまり願望なのでしょう。現実にはなにもかもは愛せないし、他人をまるごと包みこむことなど出来ないということになります。

まとめると
●対人関係では、どうしても他人に左右されてしまう部分、自力でコントロールし難い部分が生じる。
●人が他人を気にせず生きることは難しい。でも逆に他人にぴったり寄り添おうと思っても、それもまた困難である。


7.arizona
 一人旅の最中、以前に一緒に過ごした人との記憶が強烈に浮かんできて苦しくなる…といった歌詞です。結ばれること 離れることで 人の絆は強くなってゆく、とのこと。会えない時間が愛育てるのさ、ですね。
 実際の経験を元に作られた曲だそうですが、聴いているだけで、旅情!って感じが伝わってきます。一人ぼっちで大自然の中にいるうちに、日常の現実感が薄れていく感覚とか、妙にテンションが上がっていく感じとか。


8.風船
 自分と他人が共鳴できるようなことを、「二人の間に浮かんだ風船」にたとえています。何らかの気持ちを相手にぶつけることで、風船は変化していく。ふくらんだり、しぼんだり。そんな風船をゆっくり、割れないように、育てていこう…という歌詞です。
 そこに誰か相手がいると、一人ぼっちの時には感じられないような気持ちを味わうことが出来ます。好意とか憎しみとか悲しみとか…。そして、それらの愛憎は、表現し続けることでさらに育っていきます。そういった、「その相手がいないと味わえない、他ではなかなか得難い気持ち」を大事にしようとする姿勢がテーマになっています。


9.台風でもくりゃいい
 「やる事なす事上手くいかない、パッとしない男」の様子が描かれています。…酔っぱらって吐く。吸いたい銘柄がなかったタバコ自販機を壊し、逃げる。後続のフェラーリに追突される…といった具合。そんな男の心情が「台風でもくりゃいい でっかいのでもきてくれりゃやな事全部 帳消しにしたい」、「愛をください ただでください 余りものでいい 寄付してくれ」と表されています。
 なにかと思い通りにならず、他力本願になってしまう…そういう様子が歌われているのでしょうか。嫌なことがあると、ついつい非日常的な事件が起こることを期待してしまったり、ラクして良い思いをしたくなってしまうもの。台風ではなくても、「電車が止まったら、仕事休めるのに」とか、「風邪が流行ったら学級閉鎖になるのに」とか…。「あるある」系の歌詞ですね。
 泣くな騒ぐな 卑屈にゃなるな そして僕のマグマは 熱くなるよ…と続きます。
 なにもかも上手くいかない、いっそ「泣きベソ」でもかいてしまいたい…そんな辛い状況の中にいると、イライラして、体が熱くなるような感じになってくる。「こんなんじゃイヤだ!望んでる状況とは違う」と、体が抗っているような感覚。…そういった、「強力な感覚や意思(=マグマ)」が、逆境の中において、より一層ハッキリと自覚される…というシチュエーションが表されているのでしょうか。


14.愛なき道
 「愛(相手に合わせて優しく振る舞いたい、という気持ち)」というのは、そもそも幻想・錯覚なんじゃなかろうか…というテーマの曲です。

 そういう「愛」をつらぬこうとすると、疲れたり無理しているような感じになることがある。それならば、「愛」の形に背いてもいいから、自分の気持ちを突き詰めることを優先するべき。むしろ、そうした方が、相手をより大切に感じることができる。あくまでも自分の気持ちに正直になることに力を尽くすべき。相手に対しては、「自分の中にある、無理せずとも相手と共鳴するような部分」だけを表現していけば良い…というような歌詞です。

 一般的に尊いとされている「愛」のイメージに惑わされず、自分の欲求を満たすことに励め、というのは稲葉詞ではおなじみの主張だと思います。その主張の根拠となるのが…「他人の気持ちを把握し、それに合わせること(=愛すること)は、とても難しい。幻想というか、不可能に近い。人間が何よりも確実に、生々しく感じることが出来るものは、自分の感覚・欲求・エゴである。それらに寄り添っていくことしか人間には出来ない。でも、そのエゴを追求すればするほど、他人の存在をハッキリと、鮮やかに感じられるようになる。「愛」という幻想(理想)に近づくことが出来る」…という、この曲で言及されている見方だと思います。 この曲は本作のハイライトだと思います。もっと言うとB'zも含めた全楽曲を通して存在している稲葉さんの考え方の、かなり根底の部分がここで明かされているように思います。


15.Little Flower
 一人ぼっちに飽きて誰かと一緒になる…そういう生き方の転機における心情が表されているのでしょうか。
 今までは本当には うれしくも かなしくもないような このこころだった。そして、いっしょならば やすらぎや はげしさや 寂しさで すき間は埋まってゆくよ これからはもう 空っぽじゃない、とあります。他人と一緒になることで、良い気持ちも、辛い気持ちも増えると言っています。
 「一緒にいたい」という気持ちを満たすことで、よりイキイキすることが出来る。心の感度が上がる。そうすると楽しさも辛さも、今まで以上に鮮やかに感じることが出来るようになる…ということでしょうか。

志庵 (2002)



5.Overture
 勇気を出して、ずっと夢見てきたことをやってみた。なのに、思いのほか手ごたえがない。すっきりしない。どうすれば良いのか分からない…といった歌詞です。「次にやるべきこと」というのは「現状への不満」がまた育ってこないと、分からない。本当にせっぱ詰まったときに初めて分かる…と歌われています。
 「これ以上のものは思い描けない」という、最高の状態になれない限りは、「不満が生じる→その解消に努める」ということの繰り返しが続く…そういう見方が、辿り着こう いつの日か 僕の描く世界の果てに、というフレーズに表されているように思います。 テーマとしては「さよなら傷だらけの日々よ」と同じです。向こうが「不満を解消する瞬間」がテーマなのに対し、こちらは「不満を解消した後」のモヤモヤにスポットが当たっています。

Hadou (2010)



6.エデン
 パズルをしてみようよ お互いの凸凹で 一個ずつハメてゆけば どんな形になるだろう?、というフレーズ。「僕」と「あなた」、二人のやりとりを楽しもうよ!ってことを言っているように思います。自分が何かをし、それが、相手の何かしらの反応を引き出し、自分がまた反応し…というやりとりをパズルの組み立てにたとえているのか。
 この言い回しは、すごく「稲葉さんらしさ」が感じられます。どこらへんが「らしい」のかは、上手く言えないのですが…。なんと言うか、この「二人がいることで生じる相互作用を堪能したい」っていうところ、と言いますか。
 二人の掛け合いが上手く組み合わさったとき、気持ちが満たされる。なので、その満足感は自分一人の所有物とも相手の所有物ともどちらとも言えない。誰のものでもない。まるで、お互いにピースを持ち寄って出来上がったパズルのようなものである…こういう視点がとっても稲葉さんらしいと思います。